AI、めちゃくちゃ便利ですね。
分からないことがあれば聞けばいい。計算してほしければ計算してくれる。知らない概念が出てきたら説明してくれる。難しければ「もっと簡単に」と言えばいいし、逆に詳しく知りたければいくらでも掘り下げられる。
ほんの数年前なら何冊も本を読んだり、検索結果を何ページも行ったり来たりしないと分からなかったようなことが、今では数秒で返ってきます。
ここまで来ると、一度はこう思うはずです。
もう勉強しなくてもいいのでは?
しかし、人類はこの手のことを何度も言ってきました。
計算機が出たときには、もう計算を覚えなくていいと言われた。検索エンジンが出たときには、もう知識を覚えなくていいと言われた。そして今、AI が出てきて、ついに考えることすら不要になるのではと言われています。
でも、なぜか毎回そうはなりません。
たぶん、そもそも我々が「勉強とは何をしているのか」を少し勘違いしているのだと思います。
今回は AI が学びの何を変えて、何を変えていないのかについて、思ったことをつらつらと書いてみたいと思います*1。
- 勉強では「答え」だけを覚えているわけではない
- AI は「答え」を猛烈に安くした
- AI は「問い」に対して「答え」を出す
- 答えが安くなるほど、問いの価値が上がる
- では、問いはどうやって身につけるのか
- 自分から遠い問いを仕入れる
- とはいえ、答えも必要
- 結局、勉強はなくならない
勉強では「答え」だけを覚えているわけではない
勉強というと、多くの人は「答えを覚えること」を想像すると思います。
三平方の定理を覚える。二次方程式の解の公式を覚える。歴史上の出来事を覚える。たしかにそれはやっています。
でも、それと同時にもう一つ覚えています。「問い」です。
三平方の定理を習うとき、我々は
直角三角形の三つの辺の間には、何か普遍的な関係があるのではないか?
という問いも一緒に学んでいます。
これは、知ってしまうと非常に当たり前に見えます。でも、もし数学をほとんど学んだことがない人に直角三角形を一つ見せたとして、
この三つの辺の長さには、三角形によらず成り立つ何らかの関係があるのではないか
という問いを自然に立てられるでしょうか。おそらく、そんなに簡単ではありません。
我々は三平方の定理という「答え」だけを学校で教わっているのではありません。「ここには何か法則があるかもしれない」「こういうもの同士を比べることができる」「そもそもこれは問うに値する」ということまで一緒に教わっています。
考えてみると、これは相当大きいことです。
AI は「答え」を猛烈に安くした
AI が本当に革命的なのは、答えを得るコストをとんでもない勢いで下げたことです。
以前なら、本を探す、論文を探す、検索ワードを工夫する、必要な部分を読む、複数の情報を突き合わせる、といったことをしなければならなかった。今ではかなりの部分が、
AI に聞く
に圧縮されつつあります。
これはものすごい変化です。「答えを探すための技術」は、一気に「AI を使いこなす技術」に圧縮されている。
しかし、ここで妙なことが起きます。AI がどれだけ賢くなっても、
何を聞くのか
という問題は残るのです。
AI は「問い」に対して「答え」を出す
かなり乱暴に抽象化すると、AI は
問い → 答え
という機械です。
もちろん、「面白い問いを考えて」と言えば問いも出してくれます。しかし、その場合でも人間は、
何について問いを作らせるのか?
という一段上の問いをすでに持っています。それすら AI に決めてもらおうとすれば、今度は「自分は何について考えるべきなのか?」という問いが残る。どこまで登っても、最後には何らかの「問い」が必要になります。
逆に言えば、問いを一つも持っていない人間にとって、AI は何も始めてくれません。世界中の知識にアクセスできる機械が目の前にあっても、「何を知りたいのか」がなければ、そこから先には進めない。
AI は答えを持っていない人を救うことはできます。しかし、問いを持っていない人を救うことは、たぶんもっと難しい。
答えが安くなるほど、問いの価値が上がる
もちろん、問いに対して瞬時に答えが出るというのは革命です。ここは疑う余地がありません。しかし、
AI があれば、全員があらゆる知識を手に入れた
と考えるのは早計だと思います。全員が手に入れたのは、「聞けば答えが返ってくる環境」です。何を聞くかは、まだ同じではない。
同じ AI を使っていても、「これって何?」で終わる人もいれば、「なぜこの仮定が必要なの?」「この二つは本当に別物なの?」「この議論は別の分野にも移せるのでは?」「ここで失敗する例は?」「そもそも問いの立て方が間違っているのでは?」と進んでいく人もいます。
そして、一つ良い問いを持っていると、AI によってその周囲を猛烈な速度で探索できるようになりました。
以前なら一つの問いを調べるだけで一日かかったかもしれない。今なら十個、百個と次の問いに進める。つまり、答えを得る速度が上がったことで、むしろ「最初に何を問えるか」の差がそのまま大きな差になって現れるようになった。
一言でいうと
答えが安くなったからこそ、問いが高くなった。
と、私は感じています。
では、問いはどうやって身につけるのか
ここが問題です。
良い問いを持てと言われても、良い問いは突然空から降ってくるわけではありません。ではどうすればよいのか。
まず、過去の人間が立ててきた問いを大量に知ることだと思います。
人間は長いあいだ、「なぜこうなるのか」「もっと一般化できないか」「この仮定は必要なのか」「例外はないのか」「別の説明はできないのか」「そもそも何を定義すればいいのか」と悩み続けてきました。そして、解決したり、失敗したり、何十年も遠回りしたり、そもそも問い方が悪かったと気づいたりしてきた。
これを学ぶ。答えだけではなく、
人は何を不思議だと思ってきたのか
を学ぶ。
勉強というのは、これまで人類が見つけてきた「問いの型」を、自分の頭に入れる作業でもあるのだと思います。
自分から遠い問いを仕入れる
さらに、問いを増やすなら、自分から少し遠いものを学ぶ方がいいと思っています。
自分がその場で自然に思いつく問いというのは、当然ながら今の自分の知識から生まれます。つまり、いくら新しく見えても、多くは今の自分の延長線上にあります。それだけでは、問いの種類はなかなか増えません。
だから、自分があまり知らない分野を少し学ぶ。普段は読まない本を読む。友人が最近何をしているのか聞く。自分とは全然違う仕事をしている人が、何に困っているのか聞く。
そうすると、ときどき、
えっ、そこを問題にするのか
という問いに出会います。
自分の思考を滑らかに拡張するだけでなく、自分とはほとんど不連続な場所から問いを持ってくる。それを自分の持っている知識とぶつける。
そういうところから、妙に面白い発想が出てくることがあります。このような突然変異を自分から起こしていくことが必要になると思います*2。
とはいえ、答えも必要
ここまで「問いが大事」という話をしてきましたが、だから知識は覚えなくていい、という話ではありません。むしろ逆です。良い問いを立てるためには、良い答えを大量に知っている必要があります。
知識がなければ問えない問いは、世の中にいくらでもあります。というより、多分その方が圧倒的に多い。
微分を知らなければ、
微分できない関数をどう扱えばいいのか
とはなかなか思いません。ある理論を知らなければ、「この仮定を外せないのか」とも思えません。ある分野で何がすでに失敗してきたかを知らなければ、昔から何度も試されていることを新しい問いだと思ってしまうかもしれません。
結局、
答えを知る
↓
新しい問いが生まれる
↓
その答えを知る
↓
さらに先の問いが生まれる
という循環になっています。
問いと答えは対立していません。良い答えが、次の良い問いを作ります。
結局、勉強はなくならない
残念ながら(あるいは嬉しいことに)、AI が出てきても勉強そのものはなくならなさそうです。ただし、勉強の意味は少し変わるのかもしれません。
これまでは、答えを知っていることそのものに大きな価値がありました。これからは、その答えの多くを AI がすぐに出してくれます。
それでも自分の中に知識を蓄える意味は残る。なぜなら、その知識が次の問いを作るからです。
そして、自分の中にいろいろな「問い」と「答え」を蓄えていくことで、
自分の力でたどり着ける問いの範囲
そのものが広がっていきます。
AI は、その範囲の中を猛烈な速度で走ってくれます。でも、どの方向へ走るのかを決めるのは人間で、そのための蓄えが必要です。
これから価値を持つのは、たくさん答えを覚えている人ではないのかもしれません。
何を問えばいいかを知っている人。一つ答えを得たあとに、次に何を問うべきかが分かる人。そして、まだ誰も十分に問えていないことに気づける人。
答えが最も簡単に手に入るようになった時代だからこそ、問いが最も価値を持つ。
最近はそんなことを考えています。
ではまた。









